ホームページに戻る ブログTOPに戻る

自由連想法再考

今回は自由連想法がテーマなので、文章も自由連想法的に書かせて頂きます。

全てが性的な解釈になってしまうので、フロイトの精神分析理論そのものには賛同しません。

しかし自由連想法という技法自体は、日常の診察場面で使われているという事に気づきました。

診察で「調子はどうですか?」と質問すると、患者さんが「調子」について思いつくままに話していく場面です。

この場面は、「調子」についての自由連想法になっています。

ここでのポイントは基本的には、思いつくままに話してもらうという事です。

まあ思いつく事が無くなれば、その時点で自由連想法は終わりという事になりますが。

ただし患者さんが暴走している時には、軌道修正が必要になります。

これに関しては、ミルトン・エリクソンのエピソードが連想されます。

少年時代のミルトンが田舎道を歩いていると、はぐれ馬が歩いてきました。

ミルトン少年はこの馬に乗って、飼い主の家に連れて帰る事にしました。

少年が馬に乗って道を歩いていると、馬はしばしば道から外れて草を食べようとしました。

そのたびにミルトンは、手綱を引いて馬を道に戻しました。

やがて馬は、飼い主の家の庭に入って行きました。

少年は飼い主の家の場所を知りませんでしたが、馬にまかせて道を走らせてきただけでした。

エリクソンはこのエピソードについて、「心理療法とは、こういうものだと思うよ」と述べました。

ここから更にベティ・アリスの思い出が連想されますが、その話はまた別の機会に。

一人で自由連想法をする時には、嫌な連想は吐く息と共に身体の外に出ていくという連想をします。

さっき思いつきましたが、これを「鬼は外自由連想法」と勝手に名づけました。

そして出ていったあとには心地の良さだけが身体に入ってくるという、自由な連想をします。

当然「福は内自由連想法」と名づけますが、節分の日に連想出来れば良かったのに。