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山々が見える風景1

幼い頃、家の裏には秋葉山がありました。

物心ついた事から、山を見て育ったのです。

幼稚園の頃、和歌山市から岸和田市に移り住みました。

岸和田市の自宅からは恐らくは牛滝山、その後ろには葛城山が見えました。

泉大宮の駅からは、牛滝山に行くバスが出ています。

子供の頃、今は亡き父に連れられてそのバスで牛滝山に行った事がありました。

牛滝山に着いておでん屋の座敷の席で、父と食事をした事を覚えています。

窓は無くて吹き抜けになっていて、川のせせらぎや鳥の無く声以外には音がありませんでした。

生まれて初めて、「静寂」を感じた瞬間でした。

高校生になると、大阪の学校に電車で通学するようになりました。

南海本線の電車の窓からは、和泉山脈から生駒の山(?)へと連なる一連の山々が見えます。

それらの山々を眺めながら、ぼーっと色んな思いを巡らして通学するのが好きでした。

社会人になって上京してから、電車通勤の際にずーっと何か違和感を感じていました。

長い時間をかけて、やっとその理由に気づきました。

東京の電車からは、関東平野に山が見えないのです。

天気の良い日にかろうじて、富士山や北アルプスを見る事が出来ます。

しかしそれはかなり遠方に、です。

やがて私は、ホームシックにかかりました。

山々の見える光景が懐かしくて仕方が無く、アルプスの少女ハイジになったかの如き心境でした(おっさんですが)。

大阪にあべのハルカスが出来てから、息子と母とで展望台に上った事があります。

そこからは和歌山~和泉山脈、生駒山脈、箕面の山々~六甲山に連なるまで、大阪平野が山々に囲まれているという事がよく見えます。

「日本一の景色や」と言っている方がいましたが、その気持ちはわからなくはない。

東京からは新幹線に乗って帰省するという事を、何度も繰り返してきました。

東京駅を出て西日本へ向かう車窓から、山々が見えてくるのをぼーっと眺めているのが幸せのひと時です。

最近は必ず、富士山が見える側の座席に座るようにしています。

しかし天気によって大抵は、雲も何もかかっていない富士山の全貌を見る事が出来ないのです。

天気の悪い日などは、全貌どころか富士山自体が見えません。

天気の良い日には富士山の全貌は、富士市を通る車窓から見る事が出来ます。

富士市に住んでいる方々は、この土地から離れられないのではないかという事に思いを馳せます。

幼い頃から富士山が間近に見える景色に住んでいると、山が見えない土地には住めないのではないかと。

私も物心がついた頃から山が見える景色に住んでいたので、山が見えない景色に寂しさを感じるからです。

ましてや富士山ならなおさら、等という事を思ってしまいます。

ある時、新幹線が混んでいて窓側に座れない事がありました。

しかしその日は、天気が良くて富士山がくっきり見えたのです。

その時せっかく窓側に座っている人は熟睡してる最中で、「おいおいせっかく見えてんのに」と思ってしまいました。

まあわざわざ、起こす事まではしませんでしたが。

富士山の日(2月23日)なので、本日はここまでとさせて頂きます。

長々とお付き合い頂き、有難う御座いました。