自分軸がぶれると、立ち眩みを起こします 「人という字は人と人とが支え合って出来ています」と言うのは一理はありますが、それでは「人は一人では立てないのか」という事になってしまいます。 幽霊には足が無いので、立ち眩みを通り越して浮遊しています。 私には「人」という字は、両足で人が立っている姿にしか見えません。 右脚と左脚が支え合って、人は立っ… 続きを読む 院長
土に始まり(四君子湯)、土に帰る(帰脾湯) 「天井桟敷の人々」という映画が、「フランスの「風と共に去りぬ」」と言われた事がありました。 しかし「風と共に去りぬ」のテーマは、「大地」なのです。 「七人の侍」のラストシーンでは志村喬が「農民は土と共にいつまでも生きる」、みたいなセリフを言いました。 中医学ではどこから手を付けるか判断に迷う場合、先… 続きを読む 院長
ベントラールヴェーガスナーブと ゲマインシャフトゲフュール 今回は奇を衒ってカタカナのタイトルになっていますが、ポリヴェーガルとアドラーを組み合わせたというだけのお話です。 先ず Gemeinschaftsgefühlを、勝手に不適切な目的の前に置いてみました。 そして共同体感覚、賞賛、注目、権力闘争、復讐、無力というスペクトルがあるとします。 同じく腹側迷… 続きを読む 院長
他力本願は、究極の自力本願か 8歳にして天涯孤独となった親鸞聖人は、次に死ぬのは自分の番であるという恐怖に怯えます。 その恐怖に打ち勝つために、8歳で出家して比叡山で数々の苦行を行いました。 しかしどんなに苦行をしてみても悟りは開けず、煩悩(死に対する恐怖)は残ったままです。 そこで比叡山を降りて京の都で、法然上人に出会います。… 続きを読む 院長
原因論の罠、目的と手段 精神医学及び医学全体を批判的にみる立場では、現代西洋医学は対症療法に過ぎないという事になります。 しかし原因論で考えていると、症状は結果という事になります。 そして原因がわかっても、実際には症状は無くなりません。 すると症状をどうにかしたいという事になり、結局は対症療法になってしまいます。 しかし… 続きを読む 院長
おとぎの国のウクライナ侵攻 子供の頃、世界名作劇場というテレビ番組がありました。 当時の関西に住んでいた方ならわかるでしょうが、番組はスポンサーであるパルナスのコマーシャルから始まっていました。 こんな感じで・・・・・ 「ぐっと噛みしめてごらんー。ママの温かいぬくもりがぁ、お口の中に染み通るよ~、パールナス。」。 そのあと「… 続きを読む 院長
法華経からミルトン・エリクソンへ 大阪ミナミの繁華街を歩いていたら、いつの間にか東京上野の繁華街に変わっていた。 という夢を見た事がありました。 今回は法華経の話をしていたら、またまたミルトン・エリクソンの話に変わっていたという内容です。 精神病院で勤務をしていた頃、症例検討会というものがありました。 そこで毎回議論されるのは結局、… 続きを読む 院長
山々が見える風景1 幼い頃、家の裏には秋葉山がありました。 物心ついた事から、山を見て育ったのです。 幼稚園の頃、和歌山市から岸和田市に移り住みました。 岸和田市の自宅からは恐らくは牛滝山、その後ろには葛城山が見えました。 泉大宮の駅からは、牛滝山に行くバスが出ています。 子供の頃、今は亡き父に連れられてそのバスで牛滝… 続きを読む 院長
自由連想法再考 今回は自由連想法がテーマなので、文章も自由連想法的に書かせて頂きます。 全てが性的な解釈になってしまうので、フロイトの精神分析理論そのものには賛同しません。 しかし自由連想法という技法自体は、日常の診察場面で使われているという事に気づきました。 診察で「調子はどうですか?」と質問すると、患者さんが「… 続きを読む 院長
どうしても西洋医学が必要な場合も、ときにはあるものです そもそも基本的には、西洋医学というものがあまり好きではありません。 しかしどうしても西洋医学が必要な場合も、ときにはあるものです。 先日の夕食時頃より、左下腹部から左腰に及ぶ痛みが始まりました。 翌朝の明け方頃より、その痛みは激痛へと変わっていきました。 座っても立っても痛い、横になっても痛い、話す… 続きを読む 院長